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この写真のコーナーは「記録」の断片を逐次紹介するギャラリースペースです。 記録とはいっても目的意識をもって撮影したものだけではない。気が向くままにカメラを向けたスナップ写真も 多い。しかし40年近い歳月はつまらぬ写真にも何かの意味づけをしてくれる、そんな気がしている。

Afghanistan  Istanbul  遊牧民

Afghanistan-アフガニスタン 1974-

アフガニスタンは1978年以降今日まで長期に混乱が続いている。 部族やイデオロギーによる内部の対立が引き金になったとはいえ、 ソ連の軍事侵攻、アメリカの「テロとの戦い」による外部の力で蹂躙された戦争の歴史であった。 私がアフガニスタンを訪れたのは混乱が始まる前、都市も農村も日常の暮らしが続いていた。 あれから30年あまり、アフガニスタン中が戦場となり多くの人々が死に傷ついた。 400万人以上が難民化した時もあった。 あの時出会った屈託のない子供たちはどうしているのだろうか。

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Istanbul-イスタンブール 1974/1976-

イスタンブールをはじめて訪れたのは1974年12月、ボスポラス海峡を望むホテルのテラスに夕日が沈むまで 長々座っていたのを思い出す。曇った空と暖房のために焚かれた石炭の煙が街の色彩を落としていた。 車も少なく落ち着いていて、イラン滞在からの帰途に寄った旅行者にとってはホッとする都市であった。 中心部からさほど遠くない郊外には東欧を思わせる牧歌的な村の風景があった。 その後、イスタンブールは忙しい都市に変貌し、市域を大きく拡大し十年余りで郊外の村々も飲み込んでいった。

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-遊牧民-

1972年、農村調査でイラン南部の村に半年滞在した。9月のある日、遊牧民の隊列が集落のすぐ横を通り過ぎた。女たちが着飾ってラクダや馬に乗り、男が隊列をリードしていた。これに家財道具等を積んだラクダやロバが続き1時間かけて目の前を通過した。しばらくすると今度はいくつかの群れに分かれた数千頭の羊やヤギが土ぼこりをあげて通り過ぎた。乾燥した大地でのこのドラマはその後10日ほど毎日のように繰り広げられた。
あれから30年余り経った2006年、同じ季節に同じ村を訪れた。しかし、定住化が進み数が大きく減ったことで、遊牧民のあの美しく見事な隊列をすでにみることはなかった。

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