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イランの伝統農具と生活用具

イランの伝統農具と生活用具

   イランはペルシア文化の伝統を引継ぎ絨毯・金属細工・ガラス・陶芸などにすぐれた手工芸品を残している。しかしこれらは都市に限られ、農村でみられるのはより素朴な民具である。この都市と農村の落差は、農村が都市に搾取されてきたという歴史に理由があるが、また乾燥した風土を反映したものとも言える。日本の民具の豊かさは植生の豊かな温帯湿潤の気候と少なからず関係があり、この点で乾燥・半乾燥地は民具にとってのすぐれた素材に乏しく、生活用具は家畜製品や身近にある土を素材としたものが多い。テントはヤギの毛、水入れもヤギの革の加工品である。農民は農耕を行うとともに放牧方式で家畜を飼い、身近な素材による生活用具が利用されてきた。ただすべてが素朴という訳ではなく遊牧民系譜の村では羊の毛から華麗な絨毯を織り、日干しレンガを積み上げた住居に色を添えた。
こうした民具は村の住民の手で作られ、各種の職人も村民が必要とする道具を提供した。村落域には農具や厨房用の鉄製の道具を作る鍛冶職人がおり、壷、フェルトの帽子、また布と革からなる靴もまた職人の仕事であった。つまり豊富とはいえないまでも農民や職人の手になる民具が存在した。

地図の画像

耕起

犂〈ヒーシュ〉

   西アジアの犂はその歴史が非常に古い。トラクターが普及するまで広く使われていた犂は古代メソポタミアのレリーフに描かれた3000年以上前のものとその形状があまり変わらない。犂を牽引する役畜は牛・水牛・ラバ・ラクダなど地域で異なるが、西アジアでは牡牛を使うところが多い。
   イランの犂は牡牛2頭引きである。犂の形状は地域によって特徴がみられ、次の3つに類型化できる。
① 犂轅と犂床が頑丈な鉄の輪や犂柄によって固定されている。犂床は60~80cm、先端に鉄の犂刃がついている。犂柄は犂轅に固定されている。
② 犂轅と犂床、また犂柄が2本の犂柱に楔などで固定されている。この形状のものは犂轅と犂床の角度を変えることで耕耘の深度の調節が可能である。犂床はおよそ100cmで日本の長床犂に似ている。マルヴダシト地方で使われた犂はこの形のものである。
③ 基本形は ①とほぼ同じだが、犂轅と犂床が固定されていないために深度を調節することができる。また犂柄に特徴があり、犂床から左右に2本の犂柄が伸びこれに操作のための横木が渡してある。犂刃が比較的広幅であり南西部のフーゼスタン地方で多く使われた。BC8世紀のアッシリア時代のレリーフに類似のものがある(ヴルフp.269)。
   イランの乾燥・半乾燥地の犂のもう一つの特徴は犂刃にある。東アジアやヨーロッパのものと比べるとかなり小さく、とくに乾地農業地帯(半乾燥地の非灌漑農業地帯)で使われた犂は小さく鋭角に尖った刃をもつものが多い。これに対して灌漑農業地帯で使われた犂の刃は相対的に広幅であるという傾向がみられる。
   乾地農業で犂刃が小さく鋭角に尖っているのには犂耕のもつ目的が関係している。西アジアでは雨季は晩秋から春に訪れる。雨季が終わると高温・乾燥の乾季となり、この乾季に土壌からの蒸発を防ぐには小さく尖った犂刃で表土を切るように耕すのが効果的である。この作業で土中から水分が吸い上げられ失われるのを抑えることができる。「2回の犂耕は1回の灌漑に相当する」とも言われ、犂耕の回数は灌漑農業よりも乾地農業で多い傾向がみられた。
   一方、灌漑農業地帯で犂刃の幅が相対的に広いのは、灌漑農業では犂耕に保水の機能がとくに必要とされず、土壌を砕き空気や灌漑用水を浸透させるのに広幅の犂刃で深く耕すことの効果が大きいためと考えられる。ただ乾燥地の耕地は土壌が硬く、通常犂耕は雨季に入って最初の雨で土壌が柔らかくなった時点で行われた。

類型①  半乾燥地の非灌漑農業地帯

踏鋤〈ビール、ビーレ・ザミンカニー〉

 

   〈ビール〉は、シャベル状の鉄板に1.5~1.8mほどの木製の柄がついた農具である。この〈ビール〉と呼ばれる農具は、a耕地を耕すもの、b灌漑の諸作業に使うもの、c根菜類を収穫するときに使うものの3つの種類からなり、鉄板部分の形状はそれぞれに特徴がみられる。ここではまず耕地を耕す踏鋤用のビールについて説明を行う。
   踏鋤用のビールは、他の用途のものと区別して〈ビーレ・ザミンカニー〉(耕作用ビール)と呼ぶことがあるが、単に〈ビール〉と呼ばれることが多い(①)。通常は野菜・果物・牧草のアルファルファなどが栽培される園地を耕すのに使われた。園地は集落に近く土塀で囲まれていることも多く比較的集約的な農業が営まれた。ここでは踏鋤で深く耕すことの効果が大きかった(②)。
   イスファハンの一部の地方では圃場でも踏鋤が用いられた。貧困で牡牛が買えないとかゾロアスター教徒が住み彼らは牡牛を使役することを好まないことが理由として挙げられているが、根拠として十分とは言えない(ヴルフp.264)
   踏鋤用のビールの形状は、先端が尖った細身のものからシャベルのように幅の広いものまである。乾燥地の土壌は堅いため本来は鋤込みやすい幅の狭いものが多かったと考えられる。ただ、工場で大量生産されるようになってからは幅の広い規格品が従来のものに代わり、どの地方でも使われるようになった。また踏み込むための「足のせ」がついたものがある。
   マーザンデランの一部の地方では、園地を耕すのに小ぶりの鍬を使うところもある〈カラン〉(③)。

ビールの図

耙耕

耙〈マーレ〉

   犂耕につづく耙耕(土を砕き整地を行う)の農具も地域性がみられる。乾燥・半乾燥地では犂で耕された耕地は硬い土塊がゴロゴロした状態になり、土を砕き平らにするために数回の耙耕が必要とされる。この目的をもつ農具は地方で形状に違いがみられ、牡牛2頭が牽引する農具として次の2つが確認された。
① 長さ180cm、幅20~30cm、厚さ5~10cmの大きさの分厚い板である。2か所で鎖によって軛(くびき)に結ばれ、板に人が乗って牡牛2頭によって牽引された。大野は1960年代にニシャプール地方とイスファハン地方の2つの村でこの型のマーレを見ているが、「ただの丸太のような農具」と表現している(大野 p.111)。この形状のものがイランではもっとも一般的でありまたアフガニスタンでも使われた。イラン南部の地方で同形の農具を単に〈タフテ(板)〉と呼ぶところがあった。
② 板に鉄製や木製の歯を打ち込んだもの。使われ方は①と同じで、イスファハン地方やファールス地方で使われた。
   またファールス州南部の水田地帯では中国や日本の馬鍬によく似た農具が砕土・整地用として使われていた(③)。
   耕作に犂ではなく踏鋤を使う園地では砕土・整地も人力によった(④)。この農具は40cm×15cm、厚さ5cmほどの木製の板に木や鉄の歯が複数打ち込まれた形状をなし、これに1mほどの柄が付いていてこれを押したり引いたりして使う。耕した後の土塊が硬い場合、粉砕するために木槌のようなもので叩くところがある。

分厚い板による耙耕の画像

灌漑

畦立用農具〈コロー〉

   灌漑農業では耕地に周期的に灌漑を行うために畦や畝が立てられた。この畦立・畝立の作業に使われたのがコローである(①)。この農具は柄のついた湾曲した長方形の鉄板に2本の鎖が付いたもので、鉄板を土壌に差し込む人と鎖で鉄板を手前に引く人とが対になって作業を行った(②)。差し込んだ鉄板を引き上げることで土を盛り上げ、横に移動しながら同じ動作を繰り返すことで畦や畝を立てていく。
   マルヴダシト地方では縦横に畦を立てて区画を作り(③)、区画を一つ一つ灌漑していくボーダー灌漑法がとられていた。畦は毎年作り直されたが、この作業の際に畦に沿って溝ができ、灌漑時にはまずここに水が入り、徐々に全体が灌水する仕組みになっていた(④)。畦立作業は村の農民総出で行われた。

畦立用農具〈コロー〉の図

灌漑用農具(ビール、ビーレ・アービヤリー)

   灌漑作業用の〈ビール〉は踏鋤用と区別するために〈ビーレ・アービヤリー〉(灌漑用ビール)と呼ぶことがあるが、通常は踏鋤用と同様に単にビールと呼ばれた(①)。ビールを使った作業は、畦を切って灌漑溝から耕地に水を流すこと(②)、水が灌漑の区画内に均一に及ぶように表土を均すこと、村に至る用水路を掃除することなどである(③)。こうした作業のためビールは踏鋤用と比べると鉄板部分の幅が広くできている。
   大量生産による規格品が普及してからは、踏鍬用も灌漑用も同じビールが使われ、この農具はさらに日干しレンガを作るために泥とワラを練り合わせたり、肥料を積んだり様々な用途に使われるようになった。(④)

灌漑の図

灌漑の時間を計る漏刻〈 フィンジャン 〉

   乾燥地の村では灌漑に番水制をとる。村に配分された水に対して農民のグループまた個々の農民がそれぞれに持分をもち、持分に応じた時間分に灌漑の権利をもった。マルヴダシト地方では、時計のない時代には、太陽の動きで1昼夜、半日、4分の1日で区切り、輪番制で農民4人のグループごとに灌漑を行った。
   灌漑の時間を漏刻によって計る地方もあった。時間を計る道具としては、底に針穴が開いた銅製の容器(フィンジャン)や同じく底に穴を開けた壺(クーゼ)が使われた。フィンジャンの場合、水で満たしたより大きな器に浮かべ(①)、穴から水が入りその重みで沈むまでを時間の最小単位とした。イランの東部のビルジャンド地方のフルク村では、この容器をターセ・ホモーと言い、沈むまでの時間(2回分約26分)を1フィンジャーンとし、農民の灌漑時間の持分をフィンジャーン数で表した(原隆一、52~55ページ)。一方、壺の場合、これを満タンにして吊り下げ、壺が空になるまでの時間を1単位とした。これら番水の時間をはかる水の番人はミルアーブと呼ばれた(②)。

フィンジャンの図

野菜・工芸作物の収穫用農具〈パーシグーン、アッレカルト、ビーレ・クン 〉

 

   野菜類の収穫には作物によってさまざまな農具が使われた。ニラ類などイラン人が好む香りのある青野菜の収穫には、根から掘る〈パーシグーン〉が使われた。これは、「く」の字型の木製の柄に鉄のヘラがついた形のもので、しゃがんだ状態で作業をする(①)。これは収穫だけでなく除草作業にも使われた。テヘランの近郊では、野菜を刈り取るのに刃渡り40cmほどの鋸刃の農具も使われていた(②)。
   ゴルガン地方(トルコマン族)では、小さな鉄片に直角に柄がついた鍬状の農具が使われた〈コルキー〉(③)。鉄片の形と大きさは概して小さい。ゴルガン地方は綿花生産の盛んなところであり、野菜の収穫のほかに綿作地の中耕除草にもこの農具が使われた。
   根菜類など収穫に土を掘る必要がある場合、ビールの一種である〈ビーレ・クン〉(④)が使われた。100cm前後の長さの柄に踏鋤用のビールよりもはるかに細い鉄板が付いたもので、土壌に深く差し込めるような形状となっている(④)。足をのせて踏込むことができるように木製の足のせがはめ込まれている。マルヴダシト地方ではこの農具を砂糖ダイコンの掘り起しに使っていた。

野菜・工芸作物の収穫用農具の図

小麦の収穫

鎌〈 ダース 〉

   刈取り用の鎌は、しゃがんで使うものとして、鉤状の大・小2種類の鎌がある。大きな湾曲した鎌は刀刃で主に麦の刈取用である。小麦はばら撒きされるために株状をなさず、一回でなるべく多くの茎を刈るには湾曲した大きな鎌が必要となる(①)。これに対して小さな鎌はのこぎり刃で、主に牧草のアルファルファや草などを刈るのに使われ、田植えをする米作地でも使われた(②)。
   また小麦などを立った状態で刈る大型の鎌が北西部のオルミエ地方でみられた。刃渡り80cm、柄には作業し易くする取っ手が出ている(③)。刈った後はTの字の形をした棒でかき集められた。

鎌の図

刈り取った穀物を運ぶネット(ロー)

   マルヴダシト地方では、収穫した麦束を運ぶのに1.8mほどの2本の棒に両端を結んだ荒いネット〈ロー〉が使われた(①)。麦束はこのネットで包まれ、ロバの背で脱穀場に運ばれた(②)。
   オルミエ地方(アゼルバイジン)では、刈り取った麦束は荷車に積みあげられ水牛などで脱穀場に運ばれた(③)。

刈り取った穀物を運ぶネットの図

脱穀車〈ボレ〉、 脱穀板〈ヴァール〉

   脱穀場に運ばれた麦は山に積み上げられる。脱穀作業はこの山を少しずつ崩し、踏んだり叩いたりして脱粒することで始まる。この方法には地方で特色がみられる。その一つは、木の棒やナツメヤシの葉脈を人力で打ち付けて脱粒する方法であり、カスピ海沿岸やアフガニスタンで米の脱穀作業に使われた(①)。
   これに対して、乾燥・半乾燥地の麦作地帯では広く脱穀車〈ボレ〉や脱穀板〈ヴァール〉が使われた。脱穀車は、橇(そり)の形をした枠に円盤状のディスクまたは木片や鉄片を羽根状に打ち込んだ通常2つのローラーがはめ込まれたものである。2頭の牡牛で牽引することでローラーが回転し、ワラを砕き脱粒する。橇には人が乗り重さを加えながら操作する(②)。鉄のディスクが付いた脱穀車はイスファハン地方やテヘラン地方で多く、ファールス地方やフーゼスタン地方では鉄片を羽根状に打ち込んだ脱穀車が多く使われ、穀物の山を崩しながら踏み回った(③)。
   脱穀板は、長さ180cm、幅60cmの厚みのある板で、イランの北西部からトルコさらに地中海世界でみられたもので、裏面にフリント(非常に硬く割ると角が鋭利に尖る石)がびっしりはめ込まれている(④)。これに人が乗り鎖で軛(くびき)に結び2頭の牡牛が牽引する(⑤)。
   補助的にロバなど複数の家畜に踏ませるところもある。デズフルに近いバクティアリー(部族)の村ではラバ、マーザンデラン地方の乾地農業の村ではロバだけで踏み回り脱穀を行った。

脱穀車〈ボレ〉、 脱穀板〈ヴァール〉の図

熊手〈チャーク〉、 篩〈ゴルバール〉

   地下水を農業に利用するためのもう一つの水利施設として畜力井戸がある。カナートと比べると水量は少ないが、カナートでは灌漑できない山裾の耕地を灌漑することができる。
   脱粒の作業が終わると、熊手〈チャーク〉によって麦粒とすでに小さく刻まれたワラを分別する風選の作業が続く(①)。風選は風が吹く早朝や夕方に行うことが多く、麦粒とワラの混じった山を熊手でかき揚げ麦より軽いワラを飛ばして分別する。チャークの材料はトネリコの木を使い、専門の職人が作る。
   風選でワラを飛ばしたあと、麦粒をワラ屑や石と選り分けるのに篩が使われた。通常は2種類を使い分け、まず目の粗い篩〈カーム〉で選り分けたあと、目の細かい篩〈ゴルバール〉でさらに細かなワラ屑などを除く(②)。
   篩のガットには羊やヤギの腸、また革紐が使われる。1970年代初めマルヴダシト地方では渡り職人のコウリー(ジプシー)が村の近くにテントを張り農民のために篩を修理しまた作っていた。

熊手〈チャーク〉、 篩〈ゴルバール〉の図

天秤〈タラーズ〉

   収穫した穀物を、地主と農民の間、また共同耕作の仲間の間で分けるのに天秤〈タラーズ〉が使われた。タラーズは天秤棒と2つの鉄製のボールからなり、小麦や米を量るときには5 kgの分銅を使ったが、一定の穀物量を分銅の代わりに使うこともあった(①)。1970年代まで、マルヴダシトを含む多くの地方で複数の農民が農地を共有し共同で耕作する制度が残っていたが、この制度をもつ村では収穫を農民間で均等に分配した。このとき使われたのがタラーズである(②)。また、1960年代に農地改革が実施されるまでマーレキ・ライーヤト制という地主制が広く展開していた。この地主所有の村では収穫した穀物は地主と農民の間で一定の比率で分けられ、この分益に際してもタラーズが使われていた(③)。

天秤〈タラーズ〉の図

牧童の道具

   遊牧民や牧畜を行う村の牧童(チューパン)は日中また夜間も村周辺の草地や山で家畜の群れと過ごすことが多い。彼らの持ち物は、家畜の群れを襲うオオカミなどの野獣を追い払うための先端を革で丸く固められた棒〈ドメガウイー〉(①)、パンとチーズ、夜間が冷える季節には寒さをしのぐためのフェルト製の外套(②)と帽子が必需品であった。イスファハン地方のバフティアリー(部族)の村の場合、牧童は〈クールバッチェ〉という袋を携帯したが、その中にはパンを包んだ布、ヤカン、マッチ、茶を入れる道具、湯呑み、角砂糖、水入れ、それに牧畜犬の餌が入っていた(③)。

牧童の図

食の道具

製粉機〈アーシヤーブ>

   小麦などの穀物を製粉する道具は、基本的に固定した下臼と回転する上臼からなっており、何を動力とするかで地域的な特徴がみられる。
① 手回しの碾き臼〈アーシヤー・サンギ〉〈アーシヤー・ダスティー〉は一般の家庭や遊牧民の宿営地でみられる。上臼には木の取っ手がつき、これを手で回しながら中央の溝から穀物を入れる。
② 水力製粉機は川の落差を利用して臼を回転させ、イランではもっとも多く利用された。マルヴダシト地方のコル川には堰の水位差を利用した水車がたくさんあり、直径が100センチ余りある石臼を回転させた。
③ イラン東部のシスターン地方では夏季の数か月間を強風が吹き、この風を動力に石臼を回す風力製粉が行われた〈アーシヤーブ・バーディー〉。

製粉機の図

パン焼用具

   パンにはいくつかの種類がある。これはパンの焼き方と発酵菌の有無が関係している。
   マルヴダシト地方ではパンは鉄板で焼かれる(①)。小麦粉を練って団子状にし、これを棒によって石や木の台で直径40cm、厚さ2、3mmほどに伸ばす(②)。これを直径60cmほどの湾曲した鉄板に乗せ、焼けたら裏返してこの上に新たにパン生地を載せ裏返していく(③)。燃料は木片やヤギなど家畜のフンを使う。発酵菌を使わないため薄い紙のようなパンである。このパン焼き方法は持ち運びが便利なため遊牧民に一般的である(④)。
   イランの農家では〈タヌール〉と呼ばれる窯も使われた(⑤)。窯は土中に穴を掘り掘り起こした土で周りを固めたものと地上に作られるものとがある。いずれも底に燃料を入れ風を送る口がある。窯の底で火を焚き、窯の表面が熱くなると平らに伸ばしたパン生地を壁面に張り付ける。

パン焼用具の図

バター作りの撹乳器〈キャレサージー〉

   牧畜を行う村の住民や遊牧民は、羊・ヤギや牛などのミルクをヨーグルトやバターに加工する技術をもっている。バター(キャレ、ローガネ・キャレ)は通常ミルクから作るが、イランの村ではヨーグルトから作ることが多い。ヨーグルトはミルクにレンネット(牛やヤギの胃で作られる酵素の混合物)を加えて作られ、このヨーグルトを水で薄めて撹乳器〈キャレサージー〉で攪拌され、これにより液体はバターとバターミルクに分離する。直ちにこれを熱し上澄みを取り冷すと固形のバター(キャレ)になる。バターミルクは熱し塩を振り液体部分を除くとタンパク質の固体(ケシキ)となる。
   バターを作る道具は気候など地方の環境によって特色がみられる。遊牧民や遊牧民の定住村では木製の三脚に吊るしたヤギの革袋が使われた。攪拌には、マルヴダシト地方ではこの革袋を強く揺する方法が(①)、ホラーサン地方の牧畜民の事例では革袋の中を棒で突き回す方法がとられた(③)。
   これに対して、イラン北西部の農村では壺が使われ、この壺を台の上に斜めに置いて取っ手をもって前後に揺すり攪拌した(②)。また比較的降水量が多いギーランやマーザンデランの牧畜民の場合は木製の筒状の容器(トロム)が使われた(④)。

バター作りの撹乳器〈キャレサージー〉の図

水入れ〈ドゥル〉、〈ドゥルチェ〉

   ヤギの革で作られた円錐形をした飲料水用の容器である。3本の棒で支持され上部の口に栓がはめられる。乾燥地では蒸発力が大きいため、この革袋に水を入れて日陰に置いておくと革から染み出た水の気化熱で容器の中の水が冷える仕組みになっている(①)。
   クルディスタン地方では、ヤギの革袋を水入れとして使用し、〈コフス〉と呼ばれていた(②)。

水入れ〈ドゥル〉、〈ドゥルチェ〉の図

絨緞織

   イランは絨毯の優れた伝統をもっているが、マルヴダシト地方の村でも絨毯が織られてきた。この地方には19,20世紀に遊牧民が定住した村が多く、絨毯を織る伝統も遊牧民系譜のものである。生産の工程は、農民が飼う羊の毛を刈ることにはじまり、糸を紡ぎ、染色をして織るのだが、染色を除くと原料も労働もすべて村内で自給された。

毛刈り鋏〈 グィーチー 〉、 梳櫛〈 シャーネミーク 〉

   乾燥・半乾燥地の村では農耕と牧畜の複合した経営形態をとり、羊・ヤギ・牛・ロバが放牧と大麦やアルファルファなどの牧草で飼養された。羊とヤギはそのほとんどが市場で販売されたが、絨毯を織る村では自ら飼育した羊の毛を原料とした。毛は毛刈り鋏〈 グィーチー 〉で刈り取り(①)、刈った毛は梳櫛〈シャーネミーク〉で伸ばしほつれをとった(②)。

毛刈り鋏〈 グィーチー 〉、 梳櫛〈 シャーネミーク 〉の図

紡錘車〈 デゥーク 〉

   マルヴダシト地方では、刈り取った羊毛は絨毯の織り手である村の女性によって紡がれた。道具は鉄製の手持ちの紡錘車が使われた(①)。地方によっては糸車を使うところがあるが、遊牧民や遊牧民系譜の村では紡錘車が一般的であり、これを強く回転させ、少しずつ巻き取っていく(②)。経糸用の糸は糸巻に巻き直し長く張った糸にさらに撚りを加えていく(③)。

紡錘車〈 デゥーク 〉の図

絨毯織機〈 ダーストゥガー・エ・ガーリー 〉

   絨緞用の織機は縦型と水平型の2種がある。マルヴダシト地方の村や遊牧民の織機は水平型で、経糸を水平に張り(①)、織り手はこの経糸にパイル糸を結び、この繰り返しで絨毯が織られる(②)。パイル糸を1段、2段結んだあと、櫛状の打ち具(シャーネ)(③)で叩いて結び目を締めていく(④)。 マルヴダシト地方の村の場合、絨緞の織り手は婦人で文様は母系で引き継がれた。

絨毯織機〈 ダーストゥガー・エ・ガーリー 〉の図

【参考文献】

H.Wulff “The Traditional Crafts of Persia” Massachusetts,1966 (原隆一他訳『ペルシアの伝統技術』平凡社、2001年)
イラン文化芸術省 “Honar o Mardom”(「芸術と民衆」)の参考にしたモノグラフ一覧(ペルシア語)
   ・バズルック村(イラン南西部) No.121 (1971年11月)
   ・スィーヤマルグー村(デへスターン)(ゴルガンの山地地方) No.80(1969年6月)
   ・ホラーサンc No.83 (1969年9月)
   ・コフナック(フーゼスタン州)No.85 (1969年11月)
   ・サマー村(マーザンデラン)No.95 (1970年9月)
   ・サーラム村(ホラーサン州南部)No.119-120 (1972 年9月)
   ・ゴルガン地方のトルコマン社会 No.71 (1968年9月)
   ・バフティアリー遊牧民部族の家畜飼養(イスファハン州)No.129-130 (1973年4月-5月)
   ・バフティアリー族(フーゼスタン州)No.111 (1972年1月)
   ・ハジージ村(クルディスタン)No.47 (1967年6月)
   ・グーチャンのクルド(ホラーサン北部) No.88 (1970年2月)    ・シスターン地方の風力製粉 No.177-188 (2530シャーハンシャーヒー)
 M.ハリーギー編『イランの民俗学と民衆文化』(Mardmshenasi o farhangi ame iran)No.1、1974年
 大野盛雄『ペルシアの農村』東京大学出版会、1971年
 原 隆一『イランの水と社会』古今書院、1997年
 後藤 晃『中東の農業社会と国家』お茶の水書房、2002年